Artesano de Circulos Concentricos | |||||
新宿にて、近所のビルで働く友と久しぶりに会いました。 相変わらず、友人は愛妻弁当だからNagieのご飯時間に合わせてお茶をしに出て来てくれるのだ。 今日はちょっと元気がなかった。 震災の事や家の行事で疲れているとのこと。。。。ふぅ、彼のそんな疲れた姿はあまりみた事がなかったからちょっと心配になった。 いつも飄々と平常心で変わらずいてくれるイメージだったから。 ふと思った。。。。Nagieの周りでもたくさんの友人がちょっと不安定になっている。 そんな中で、Nagieは震災後すぐは凄く心揺れたけどあっという間にいつもの心に戻り、逆に今の方が強くなった気がするくらい。 強くなって今。。。思っているのは。 目の前の、足元にあることを粛々と変わらずこなしていくことが大切。 多くの人たちの事も思わなければいけないけれど、当たり前ではあるけれどそれは具体性がない。 Nagieは自分の手の届く、その人との関係性の中で素敵な時間を築く事が出来る、築きたい、築かなければならない人たちのことを精一杯思って暮らしたい。 その延長線上には必ず見えない人たちへの道が繋がっていると信じている。 理想を語る事は簡単だけど、出来ない事を考えてもしょうがない。 具体的じゃなきゃ意味がない。 以前の職場でも今の職場でも、言われる事は。。。動じないですよねぇとか周りの出来ごとに振り回されず自分のペースを崩さないですよねぇとか。。。 実際はそうでもないけれど、きっと他の方よりもマイペースというか飄々と心平らでいられているのかも。 考えてもしょうがない。。。なるようにしかならないんだから。 もしそれが本当なら、人生の師匠と仰ぐ精進料理の先生に感謝するしかあるまい。 当時職場で色々な事があって、しょっちゅう人間関係で疲れていた。 この先生に出会って、どうしたらこの人みたいに、瑣末な出来ごと、人の言葉に心揺れることなく、自分の信念を貫き通せるのかと思った。 彼の影響で、彼の勧めで1年間、毎週寺に通った。朝早く起きて寺に行き、読経し、管主さまのお話を聞く。 そして2月の極寒の候、まだまだ暗い中、始発の電車に乗り、寺に行き暖房もない吹きっさらしの本堂で、裸足で、もちろんコートなんて駄目です、読経する。これを10日間。寒修行。 たった10日だけどこれが本当にきつい。寒さもそうですが、自発的に起きて寒さの中で電車に乗って寺に行くという単純な行動も以外に根性がいります。 心折れそうになると必ず彼の厳しい一言が飛んでくる。 大体4日目、次が7日目で折れそうになる。 いつの頃からかママさんも応援してくれていた。やり抜きとおさなきゃ意味がないんだよと今日はもういいやと思うNagieを起しに来る。 このたった10日間の後、確実に私は変わった。 いまでもはっきり覚えています。 この体験が今の私の礎となっています。 寺に通って心を鍛えた話は、久しく人に話した事がなかった。(へんな宗教にはまっていると思われると嫌だったから) とある時に、何気なくこの体験を人に話したら、物凄く興味を持ってどこの寺に行ったのか、僕も私も行ってみたいと言うじゃないですか・・・怪訝な顔をされなかったことに正直驚いた。 信仰心とかいうのではなくて、何でもないことをずーっと変わることなく続けて行く事は実は物凄く手間のかかる事なんです。 無心。。。。無心じゃなきゃできないんですよ。 それをやり切ることで心が鍛えられ強さとなって、愛となって返ってくるのだと思う。 今日、ふとこんな自分の過去の経験を思い出した。 確実に自分の血肉となっていたんだなぁと。 師匠に感謝だ。 元気にしていらっしゃるのだろうか? 変わらず自分の信念のもとに、強く強く過ごされていらっしゃることでしょうね。 時には喝を入れられたいものです。 今でも大切にしているこの言葉。 そして師匠の師匠月心寺の庵主さまから頂戴した書。右半身が不自由な中、左手で書かれる。 何故かNagieだけが2枚いただいた。巳と花。。。。巳(多分、己ではないと思うのですが)は草木の成長が極限に達した状態を表す言葉。 そして花(華)。意味深い。 こうして人生の節目節目で、Nagieは有難い事に、美学・哲学的に、人生の生き様というか・・・私に生きる智慧を与えてくださる・・・影響を与えてくださる方に出会っている。 本当に人に恵まれているとつくづく思う。 深謝。
by gota-de-fericidad
| 2011-04-14 22:28
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